PL学園の立浪和義選手のプレーをテレビで初めてみた時の衝撃は今でも忘れない。
桑田にも清原にも感じなかった衝撃。
生まれて初めて「天才」という存在を意識した瞬間だった。
あれから二十数年、通算2480安打、日本記録の487二塁打という記録を残し、平成の小さな代打者立浪和義が昨シーズン限りで引退。
08年から09年にかけてのオフで引退を発表していたので2009年のシーズンは立浪詣でと称しての名古屋遠征が続きました。
琢郎スタメン、代打立浪http://blog.goo.ne.jp/gan_chan_kadoya/e/00646d99ec7d87fb54b3be61c3005d92立浪和義、工藤公康http://blog.goo.ne.jp/gan_chan_kadoya/e/2381ce6fdf08f47b0a74283582cd0388
負けん気
- 作者: 立浪和義
- 出版社/メーカー: 文芸社
- 発売日: 2010/02/16
- メディア: 単行本
この2月、立浪和義選手初の自著が発売になりました。
タイトル『
負けん気』。
ドラフト会議、新人時代、少年期、高校時代、90年代、2000本安打、引退直前…。
九つの章で立浪選手の野球への想い、エピソード、野球観、人生観、が綴られている。
読んでいて驚いたのは、立浪選手は本来右利きで、子供の頃に父親の指導で左打ちに転向したということ。
PL学園の同期でともに甲子園春夏連覇を果たし、後に横浜大洋ホエールズに入団、ベイスターズのエースとなった左腕野村弘樹投手(高校時代は弘)。
実はこの野村投手も本来は右利きで、幼い頃に左で投げていたのが癖になり、そのまま左投げになったという(野球以外、字を書いたり橋を使ったりは右手だそうです)。
もう一人、一学年下でライバル校大阪桐蔭のエース、後に中日ドラゴンズで活躍する今中慎二投手も、本来は右利きの左投手。
同じ時期に同じ地域で活躍し、その後プロでも活躍した3人の選手が、本来右利きなのを左でプレーするようになったことが、大成のきっかけだったとは。
偶然かもしれないが驚きを隠せない。
そしてもう一つ、詳述は避けるが(読んで驚いて欲しい)、右手薬指の話。
このハンディキャップがありながら、22年間もプロの世界で活躍し、あれだけの大記録を打ち立てたとは、感嘆せざるをえない。
本書を読んで、立浪選手への畏敬の念は増々ました。
この週末、名古屋へ行ってきました。
目的は
三省堂書店名古屋高島屋店で開催された「
立浪和義さん『負けん気』刊行記念サイン会」。
目の前に居る立浪選手を見て驚いたのは、プロ野球選手としては小柄なことは周知の事実だが、それでも驚いたことに、僕よりも背も小さかったこと。
体が小さいことは野球選手として、特にプロに進む選手にとっては評価下げる要因になるのだが、実はそんなことは関係ないのだろう。

これがいただいたサイン。
一生の宝物。
緊張して、足が震えそうになりながら、半泣きになりそうな状態で、なんとか振り絞り、上擦った声で会話を交わした。
立浪選手と言葉と言葉のキャッチボールを交わした、生涯忘れえぬ日となった。
中日ドラゴンズ、立浪和義選手。
ありがとうございました。
posted by gan-chan at 19:00|
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